大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

名古屋高等裁判所 昭和26年(ネ)108号 判決 1953年8月11日

控訴人 原告 中島顕誠

訴訟代理人 久保田美英

被控訴人 被告 国 外三名

訴訟代理人 花村美樹

主文

本件控訴はこれを棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は「原判決を取消す、被控訴人国は三重県阿山郡島ケ原村農地委員会の買収計画に基く左記各土地に関する政府の買収並に政府の売渡の無効なること及び控訴人が現在各土地の所有権を有することを確認すべし。

別紙目録第一号表の土地(島ケ原村第一回買収、第一回売渡)

同 第二号表の土地(島ケ原村第一回買収、第一回売渡)

同 第三号表の土地(島ケ原村第七回買収、第六回売渡)

被控訴人増森武雄、同高柳兼雄、同田増菊松はいずれも右島ケ原村農地委員会の売渡計画に基く左記各土地の政府売渡の無効なること並に控訴人が現在左記各土地の所有権を有することを確認し各土地を控訴人に明渡すべし。

別紙目録第一号表の土地(被控訴人増森関係の島ケ原村第一回売渡)

同 第二号表の土地(被控訴人高柳関係の島ケ原村第一回売渡)

同 第三号表の土地(被控訴人田増関係の島ケ原村第六回売渡)

訴訟費用は第一、二審共各被控訴人の負担とする」との旨の判決を求めなお被控訴人増森、同高柳、同田増の前記各土地の明渡しに関して担保を条件とする仮執行の宜言を求め、被控訴人等代理人は控訴棄却の判決を求めた。

控訴代理人が本訴請求原因として陳述した要旨は左のとおりである。

別紙目録第一、二、三号表記載の農地(以下単に第一、二、三号表農地という)はすべて控訴人の所有に属するものであるところ島ケ原村農地委員会(以下村委員会という)は第一号及び第二号表の農地については控訴人を以て不在地主と見做し自作農創設特別措置法(以下自創法という)第三条第一項第一号に準拠して昭和二十二年一月二十九日その買収計画を樹て之に基いて政府は右各農地を買収した。

又第三号表農地については村委員会は之を以て仮装自作地と見做し同法第三条第五項第二号(同法第六条の四を含む)に準拠して昭和二十三年三月二十二日(第一次)及び同年六月一日(第二次)その買収計画を樹て之に基いて政府は右農地を買収した。

しかしながら右各買収は次に示すような実体上の瑕疵と手続上の瑕疵とによつて絶対無効と信ずる。すなわち、

第一、買収実体上の瑕疵

(一)第一、二号表農地買収に関する瑕疵

控訴人は島ケ原村四三四八番地において明治二十五年七月一日中島吟之助の次男として出生し父の膝下に成長し学業の後多年陸軍文官として勤務し昭和十八年二月十八日退官の上化学工業統制会東京本部に技術者として働いていた所東京都板橋町において戦災に遇い昭和二十年八月五日郷里三重県阿山郡島ケ原村に帰り生家たる実兄中島彦五郎方の離れ屋を借りて独立の生活を始めたが控訴人はその所有する農地の自作に便利となるというので同年十月十八日同所を去つてそこから約半里を距てる同村三四五五番地山本三五郎方離れ屋及び農耕用納屋を借受けて移住し昭和二十三年十月末迄ここに居住した。ところが、貸主山本三五郎は控訴人から右賃貸家屋の買収申出をされることを恐れて遂に控訴人に対して転居を要求したので已むなく控訴人一家は同年十月末、同村一〇七六番地川口きよ方離れ屋を借受けて之に転住し依然自作を継続して今日に至つている次第である。控訴人家においては妻トミは前示の如く帰村以来常に右各住家に寝食し自作田畑の耕作に専念しその他家事を担当していた。控訴人は前記の如く昭和二十年八月五日家族三人と共に帰村し畑を自作しながら大阪市に在る化学工業統制会近畿支部へ勤務し終戦後昭和二十年十月二十一日同支部の解散により退職するまでの間終始国鉄を利用して定期乗車券により大阪市へ通勤していたのである。昭和二十年十月二十二日より翌二十一年三月末迄は全然いずれにも就職せず、前記山本三五郎方離れ屋に一家四人で居住し専ら控訴人所有の畑八畝歩及び第三号表の田を控訴人自身耕作していたことは居村多衆人の周知のことに属する。当所控訴人は島ケ原村に父祖累代の墳墓を有していることとて罹災後はその祭祀かたがた同村に所有せる農地を自作して生計を立てるべく決心を固めて帰村したのであるが期待に反して被控訴人増森同高柳の両名は控訴人所有の第一号及び第二号表農地を返還してくれないので第三号表の田一反余と僅少の畑との自作だけでは一家の生計を維持すること困難であるのと他方この限度の耕作ならば農繁期控訴人その他の協力さへあればふだんは妻のみの労力で事足るわけであるからここに控訴人自身は昭和二十一年四月一日より京都府立桃山高等学校に勤務するに至つた。そして原則として前記島ケ原村の住居から通勤し時々宇治市居住の長女中島綾子方に仮泊し学校の休暇、土曜、日曜にはもとより農繁期には欠勤して右自宅に帰り前記自作地の耕作に従事し以て家族用食糧の生産と供出をしてきた。

そこで島ケ原村農業実行組合その他においても控訴人一家を在村の自作農と公認して総べての肥料の配給をなし島ケ原村役場においても控訴人一家を在村者として食糧その他一般物資の配給をしてきた。従つて他方米麦の供出はもとよりその他の農産物及び薪炭の供出等についても在村者の資格を以て割当をうけ控訴人はすべて村民として完納しておりその他居村村民一般の共同生活に関する諸般の経費をも負担し支出してきたのである。又島ケ原村は控訴人及び妻を在村者として住民税を賦課しており同村において選挙権を認められて之を行使している有様である。

なほ控訴人の長女中島綾子は宇治市五ケ庄梅林四十番地(京都府宇治郡東宇治町五ケ庄梅林四十番地。宇治市大字五ケ庄字梅林。宇治郡宇治市五ケ庄四十番地。宇治市五ケ庄梅林四十番地。東宇治町梅林官舎はすべて同一場所の旧呼称であり、現在の正確な呼称は宇治市五ケ庄官有地となつている。)に仮寓し同市小学校教員を勤め控訴人より全く独立して自活しているのである。

これを要するに第一号第二号表の農地買収の当時控訴人の住所はあくまで島ケ原村に在つて他所にはないことがきわめて明白であるにかかわらず村委員会はこのことを知りながら控訴人が偶々他所に出向いて留守がちなる事実を捉えてことさらに島ケ原村に居住せずと見做し以て右農地を買収に及んだのであるからその買収は違法である。

(二)第三号表農地買収に関する瑕疵

右農地はさきに鮮人某に小作させてあつたが控訴人が前記のとおり帰村した直後同人より返還をうけ、前にも述べたとおり昭和二十年十一月十一日よりこれを他の控訴人所有の畑八畝歩と併せて控訴人及びその家族自ら耕作を続け農繁期以外は他人を雇うようなこともなかつた。後日昭和二十四年六月十六日被控訴人田増が右農地の占有を侵奪するに至る迄約四年間控訴人は之を何人にも賃貸借その他契約に基き耕作せしめた事実はなく全く控訴人の完全なる自作地であつたのである。尤も被控訴人田増との間において昭和二十三年二月十一日請負契約書と題する書面(甲第三十二号証)を作成したことはあるがその内容は同被控訴人に対して日傭賃を金四千五百円と定めて耕作を手伝わしめるという趣旨であつて決して同被控訴人に右農地の耕作を請負わせる趣旨のものでない。従て耕作経営の主体はあくまで控訴人であり同被控訴人ではない。

仮りに之が請負契約であるとするもその契約は昭和二十三年四月九日双方合意の上で解除したのである。のみならず同被控訴人は、右契約後右農地に立入り耕作を実施して居た事実が少しもないのであるから本件買収計画当時同被控訴人において之を耕作の業務の目的に供していたものといえない。

いずれにせよ右農地は当時仮装自作地に該当するものでないこときわめて明白であるにもかかわらず村委員会は右事情を知りながらことさらに之を目して自創法第三条第五項第二号にいわゆる仮装自作地なりとして買収に及んだのであるからその買収は違法である。

(三)そして本件第一号乃至第三号表の農地は控訴人において保有を許されている反別の範囲内に属する農地であるから他の事由によつて買収し得ず本件買収について以上述べたような違法なる瑕疵が存するかぎりその買収は当然絶対無効といわなければならないのである。

第二、買収手続上の瑕疵

本件において無効を主張する行政処分は買収計画、公告、承認、買収令書の発行交付の四であるがその各々について無効なゆえんを述べる。

(一)買収計画について。

甲、第一、二号表農地の買収計画(甲第二十六号証の一の第一回買収計画書)

(1) 同買収計画書には文書作成者の表示がない。

買収計画書はこの計画決定のために開かれた村委員会の決議に関与した委員の署名捺印を要する文書である。然るにこの計画書には之等の氏名捺印を欠いている。従てこの書面は同委員会の買収計画の成立を証明する公文書として効力がない。

(2) この書面にはその基礎たる村委員会のいかなる時期における決議に基くものなるやの記載がない。故に本件買収計画は村委員会の適法な決議に基いたものでないことが推認されるから違法である。

(3) この書面には作成の日附並に之を委員会に備付けた日附の明記を欠いている。

故にこの計画書が公告の日又はその以前に村委員会の文書として同会に備付せられた事実がないことを推知しうる。従て仮りに公告は適法であつてもそれより前に備付を要する文書たる計画書がそのことなかりしため本件買収計画は違法である。

(4) この計画書には買収時期の記載があるけれども公告の日を表示していない。

公告の時期は買収計画に関する決議において之を定めかつ計画書自体に之を表示すべきことは法定の要件である。しかるにそのことなき本件買収計画は違法である。

(5) 買収計画決議に付ての違法

被控訴人増森は第一号表農地の小作人でその買受申込人である。

よつて同被控訴人は右土地の買収に関しては重大な利害関係を有し買収の決議に参与することは法律上禁止せられているものである。しかるに今被控訴人は村委員会の第一号委員として会議に出席し該決議に参与しかつ署名しているから該決議は違法無効である。

乙、(イ)、第三号表農地の買収計画(甲第二十六号証の九の第七回買収計画)

右農地の買収計画についても甲の(1) 乃至(4) において述べたと同様の違法がある外さらに次のごとき違法がある。すなわち

(ロ)右農地については前後二回の買収計画が樹てられた。その第一次は昭和二十三年三月二十二日の決議に依るものであり、三重県農地委員会(以下県委員会という)は同年七月十二日この買収計画書を承認し三重県知事は同年七月一日買収令書を発行したのであるが村委員会は同年四月二十六日再審議の結果右第一次の買収計画を取消し改めて同年六月一日の決議によつて右農地につき第二次の買収計画を樹てて之を公告した。しかしながら同年七月二日(第一次買収計画において定められた買収の時期)までに右第二次買収計画に対する県委員会の承認も三重県知事の買収令書の発行もなかつたのであるから右農地に付ては適法な買収は未だ行われていないのである。従て右第一次、第二次買収計画はいずれも無効といわなければならない。

(二)公告について。

(1)公告は買収手続上の一個の行政処分であり、その目的とするところは特定の買収の完全なる内容の告知である。故に公告にはその内容として当該買収計画自体の表示を要するものである。しかるに本件は各買収計画の公告においてその買収計画を表示していない。よつて適法なる公告たる効力がない。

(2)公告は之をなすという村委員会の決議を経てすることを要し同委員会長が単独で公告をなすべき権限はない。しかるに本件各公告には右決議を経た形跡がなく同委員会長の名義を以てなされているからその効力がない。

(3)本件各公告が法定の掲示場所たる島ケ原村役場掲示場に現実に公示せられた事実がない。故にその公告は効力を生ずるに由がない。

(三)承認について。

(1)承認の決議の違法

県委員会の買収計画に対する承認はその前提として村委員会の承認の申請あることを要する。そしてその承認の申請は村委員会の決議に基いてなされなければならないのであり、同委員会長が単独でその承認申請をする権限はない。しかるに県委員会の本件各買収計画に対する承認の決議は(よしそれがあつたとしても)右の如き適法な村委員会の承認申請に基かないでしたものであるから無効である。

(2)承認書原本不存在の違法

各承認書の原本が当該日時に県委員会において作成せられて同会に備付せられた事実がない。故にその各承認は無効である。

(3)承認書の内容の違法

仮りに承認書原本の作成ありたりとするもその作成には承認の決議に関与した委員の署名捺印を必要としかつ承認書においても委員会の決議に基いた旨の表示を必要とするものである。しかるに本件各承認書には右各要件を欠如しているから当該承認は無効である。もとより委員会長は単独で之を作成する権限がないから委員会長名義の承認書は違法である。

(4)承認書送達の時期に関する違法

第一、二号表農地に関する買収の時期は昭和二十二年三月三十一日であり、第三号表農地に関する買収の時期は昭和二十三年七月二日である。しかるに県委員会の承認書が島ケ原村役場に送達せられたのは前者については昭和二十二年四月十四日であり、後者については昭和二十三年七月十六日である。このように買収の時期よりも後に承認書が到達した場合には当該承認は法定の時期を徒過したものとして無効といわなければならない。

(四)買収令書の発行交付について。

(1)買収令書発行の時期に関する違法

第一、二号表農地に関する買収令書は昭和二十二年三月三十日付で第三号表農地に関するそれは昭和二十三年七月一日付でそれぞれ発行せられているが前記(三)の(4) において示したとおり各買収計画に対する承認書が村委員会へ送達せられたのはそれぞれ昭和二十二年四月十四日と昭和二十三年七月十六日である以上右各買収令書の発行行為は適法な承認処分の効力発生前になされたものとして無効である。

(2) 買収令書交付の時期に関する違法

買収令書は買収計画に定められた買収の時期までに被買収者に交付せられるか又は公告せられることは法定の要件である。それ故買収の時期を徒過した後に至つて買収令書の交付又は公告がなされたとしても買収の効力を生ずるに由がない。しかるに第一、二号表農地についてはその買収の時期は昭和二十二年三月三十一日であるにかかわらず令書が控訴人に交付せられたのは同年五月である。

又第三号表農地についてはその買収の時期は昭和二十三年七月二日であるにかかわらずその買収令書は未だ控訴人に交付もせられていないし公告も行われていない。従つて本件農地に関する買収はすべて違法無効である。

(3) 第三号表農地に関する買収令書の内容の違法

元来買収令書の内容は買収計画書の内容と一致することを要するは多言を俟たないところである。しかるに、

(イ)この買収令書には対価金千二百九十九円二十銭とし、内農地証券を以て金千円、現金を以て金二百九十九円二十銭を交付すると表示しているに反し買収計画書には対価全額千二百九十九円二十銭を現金払として表示している。すなわち対価支払の方法の点において両者の内容は一致していない。

(ロ)買収令書によれば対価中現金は買収の日に支払うも農地証券は買収の日より一年内に日本勧業銀行上野支店において交付するとあり、之に対し、

(4) 買収計画書においては対価は売収の時期に土地所有者たる控訴人に支払う旨を決定したものである。それ故両者は対価支払の時期の点において一致していない。

(5) 買収計画書においては対価支払の場所を明示しないが計画自体の性質上その支払は三重県庁において履行せらるる趣旨と解すべきものである。それ故両者は対価支払の場所の点に於て一致していない。

従て右買収令書はその内容上無効である。

以上詳説したごとく本件買収手続における各個の行為が違法無効であるかぎり本件買収は総括的に無効となることをいうまでもないから国は本件買収によつて第一号乃至第三号表農地につき之が所有権を取得するに由なく控訴人はその所有権を喪失しているものでない。よつて被控訴人国に対して本件買収の無効と本件各農地の所有権が控訴人に存することの確認を求める次第である。

そして被控訴人増森同高柳同田増は控訴人の所有に属する第一号乃至第三号表農地をそれぞれなんら控訴人に対抗しうべき権限なくして不法に占有するものに外ならないから控訴人は右被控訴人等に対し本件各農地の所有権の確認と所有権に基いて之が明渡しを求める次第である。

第三、政府売渡の無効

本件各農地に対する政府の買収が以上述べたとおり無効なるかぎり政府の売渡が効力を失うことはいうまでもないがその外政府のした第一号乃至第三号表農地の売渡処分には左の如き手続上独自の瑕疵があつて無効である。すなわち、

(1)売渡計画につき適法な村委員会の決議がない。

(2)売渡計画書は次の諸点に於て違法である。

(イ)村委員会の何日の決議に基く計画なりやの表示がない。

(ロ)この計画書作成の日時及び備付の日時の表示がない。

(ハ)公告の期日の表示がない。

(ニ)計画書作成者の署名捺印がない。

(3)公告が適法に実施せられた事実がない。

(4)承認申請につき村委員会の決議を経ていない。

(5)承認に関し県委員会において適法な決議をしていない。

(6)承認書は県委員会長名義を以て作成されかつそれは各売渡期日後に村委員会に送達せられた違法がある。

(7)売渡通知書は次の諸点において違法である。

(イ)各売渡通知書は売渡計画書に定める売渡期日よりおくれて発行されている。

(ロ)売渡対価は売渡期日までに納入すべきものであるにかかわらず買受人たる被控訴人増森同高柳同田増はいずれもこれを遵守していない。

(ハ)売渡期日前に適法な承認行為がない。

(ニ)第三号表農地の売渡通知書にはその発行の日付の記載がない。

以上によつて被控訴人等に対し前記請求に併せて本件各売渡処分の無効なることの確認を求める次第である。

被控訴人等代理人は答弁として左のとおり述べた。

第一号乃至第三号表農地が控訴人の所有に属していたものなること。村委員会が第一、第二号表農地につき控訴人を不在地主と認め不在地主の小作地として自創法第三条第一項第一号に則り昭和二十二年一月二十九日買収計画樹立の決議をなし又第三号表農地はいわゆる仮装自作地として同法第三条第五項第二号に則り昭和二十三年三月二十二日買収計画樹立の決議をなし(控訴人主張の同年六月一日は後記の如く念のため二度目の公告をしただけである。)それぞれ之に基いて政府は右各農地を買収したことはこれを認めるが政府のした右各買収には次に述べるとほり控訴人主張の如き実体上及び手続上の瑕疵は少しもない。

第一の(一)について。

第一、二号表農地の買収計画樹立当時に控訴人の住所が島ケ原村に在つたことは否認する。右買収計画当時控訴人の住所は京都府宇治市五ケ庄にあつたものである。ここにその根拠を示すに、控訴人は昭和二十一年三月三十一日京都府立桃山高等女学校(京都市伏見区桃山町井伊掃部十六に在り、現在はその校舎は京都学芸大学桃山分校に充てられている)に奉職し昭和二十三年同校が廃止となり別に京都府立桃山高等学校(京都市伏見区桃山町毛利良門に在り)が創立せられると共に同校の事務官に任命せられたのである。従て本件買収計画樹立当時には控訴人は京都府立桃山高等女学校の事務官であつたのである。

控訴人は当時の住所島ケ原村三、四五五番地山本方から右勤務先へ原則として汽車通勤をしていたというのであるけれども右山本方から島ケ原駅までの距離約二、五粁徒歩三十分位を要し島ケ原駅から桃山駅までの距離は五十二、六粁所要時間一時間半位であるから右山本方から桃山高等女学校までは約二時間を要することとなる。しかるに控訴人が自己の名義を以て昭和二十一年四月一日所管庁たる近畿財務局から借うけた旧東京第二陸軍造兵廠宇治製造所官舎建坪十八坪(その敷地は百二坪)は宇治市五ケ庄(旧宇治郡東宇治町)に在りしかも控訴人の勤務先桃山高等女学校との間の距離は僅々一、五粁位徒歩二十分を要するだけ(電車の便もある)の便宜があつたのであるかわざわざ当時交通地獄と称せられた雑沓をきわめる汽車を利用し長時間を要する不便を忍んでまで通勤したものとみるよりは右宇治市五ケ庄所在の官舎を生活の本拠として之に寝起きしていたとみる方が自然であると信ずる。現実に控訴人は今日に至るもなお右官舎を借用居住しているのである。控訴人は右官舎は控訴人の長女中島綾子の住居なるごとき口吻を洩しているけれども真実でない。というのは右官舎は相当広い敷地内に建てられており当時物情なお騒然たりし折柄このような住宅に妙齢の女子をただひとり住まわせることには親として多大の不安をいだくのが人情の自然であることを想えば控訴人がその娘綾子と右官舎において世帯を一にして共に暮していたものとみるのが肯緊に中つている。まして綾子が宇治国民学校に初めて奉職したのは昭和二十一年四月二十二日のことであり控訴人が右官舎を借うけたのはそれよりも前のことに属するから綾子のみの住居に充てるためのものでなかつたことが明である。

さらに控訴人が昭和二十三年三月三十一日付及び昭和二十四年九月二十七日付で提出した適格審査のための調査による調査表によると控訴人の住所は京都府宇治郡東宇治町五ケ庄梅林四十番地又は京都府宇治郡東宇治町五ケ庄四十と記載されていてこれらは宇治市五ケ庄官有地なる同一場所の旧呼称であることは控訴人も認めるところである。そして右はいずれも買収計画樹立後の記載に係るものではあるが計画樹立当時から今日に至るまで控訴人の右官舎使用状況になんらの変動がないことから推して当時の控訴人の住所が宇治市五ケ庄なることを控訴人自ら表示しているものというべきである。

尤も控訴人の妻だけはその頃島ケ原村に居住して多少の農を営んでおり控訴人に対する物資の配給は同村に於て妻が受取つていたため妻が同村において控訴人の名義を以て供出をなし公税公課を納めていたにすぎない。

以上の次第であるから右農地は当時自創法第三条第一項第一号にいわゆる不在地主の小作地(第一号農地は被控訴人増森に、第二号農地は被控訴人高柳にそれぞれ控訴人から夙に賃貸して小作せしめているものであることは控訴人も自認するところである)に該当すること明白であるからその買収にはなんらの違法はない。

第一の(二)について。

第三号表農地については自作農たる控訴人と被控訴人田増との間において昭和二十三年二月十一日耕作の請負契約が成立しその契約に基いて爾後同被控訴人が現実にその農地を耕作の業務の目的に供していたものであり、その請負契約を控訴人主張の如く同年四月九日合意を以て解除した事実は毛頭ない。右合意解除の証左として控訴人が援用する甲第三十三号証(誓約書)は控訴人の強制によつて作成された書類にすぎないのでありその当時なお右請負契約そのものは存続し同被控訴人において該農地を耕作していた事実に変りはないのである。従て昭和二十三年三月二十二日の本件買収計画樹立の当時右農地が自創法第三条第五項第二号にいわゆる仮装自作地に該当すること明でありその買収になんらの違法はない。

第二について。

本件買収に関し手続上瑕疵ありとの主張は争う。本件各買収は次のようにして行われた。すなわち、

(1)第一、二号表農地については前記のとおりこの農地を不在地主の小作地に該当するの故を以て自創法第三条第一項第一号に則り昭和二十二年一月二十九日村委員会において買収の時期を同年三月三十一日とする買収計画を議決し以て買収計画を樹立し同年二月十三日その旨の公告をなしかつ同月十四日から十日間書類を制規の場所にて縦覧に供した。ところがこの買収計画に対して控訴人から異議申立があり同月二十四日同委員会の決議によつて却下の決定がなされたがこの決定に対して所定期間内に訴願がなかつたので同年三月十四日同委員会は県委員会に対して該買収計画の承認を求め同月二十八日県委員会はその承認の議決をなし村委員会にその旨を通知する一方同月三十日三重県知事は該承認に基いて控訴人に対しその買収令書を発行しその頃これが控訴人に交付せられた。

以上の手続によつて買収処分を完了したので政府は買収の時期において第一号表農地を被控訴人増森に第二号表農地を同高柳にそれぞれ売渡処分をなし同被告人等において爾後右各農地の所有権を取得することとなつたのである。

(2)第三号表農地については前記のとおりこの農地を仮装自作地に該当するの故を以て自創法第三条第五項第二号に則り昭和二十三年三月二十二日村委員会において買収の時期を同年七月二日とする買収計画を議決し以て買収計画を定め同年三月三十日その旨の公告をなしかつ同年四月一日から十日間書類を制規の場所にて縦覧に供した。ところがこの買収計画に対しても控訴人から異議の申立があり同年四月二十六日同委員会の決議によつて却下の決定がなされた。しかるに控訴人はこれに対しさらに同委員会に陳情をした。そこで同年六月一日同委員会において再審議の結果本件買収を続行することと決まつたので念のため重ねて同日本件買収計画を公告しかつ同日から同月十一日まで書類を縦覧に供した。右却下の決定に対して所定の期間内に訴願がなかつたので同月十七日村委員会は県委員会に対して該買収計画の承認を求め同月三十日県委員会はその承認の議決をなし村委員会にその旨を通知する一方同年七月一日三重県知事は該承認に基いて控訴人に対しその買収令書を発行しその頃これが控訴人に交付された。

以上の手続によつて買収処分を完了したので政府は買収の時期においてその農地を被控訴人田増に売渡処分をなし爾後同被控訴人において之が所有権を取得するに至つたのである。

以上の手続においてもとよりなんらの瑕疵がないこというまでもないが控訴人はその手続上における四個の行為を捉えてその各に瑕疵があると主張するから逐次反駁を加える。

第二の(一)について。

本件各買収計画書は甲第二十六号証の一及び九の示すとおり村委員会の定めた適法適式なものであることが明白であり控訴人において不備として摘示する事項はこれによつて当該買収計画の効力を左右するようなものではないが、その中、甲の(5) 及び乙の(ロ)について一言する。

甲の(5) について。

被控訴人増森は当該農地買収手続の完了後買収の時期と同じ日付でその農地の売渡をうけたものであつて同被控訴人が該農地買収計画樹立の議事に参与したからといつて農地調整法第十五条の二十四にいわゆる自己に関する事件について参与する場合に該当するものとはいえない。仮りに之に該当するとしてもその議決は絶対無効とするほどの瑕疵あるものではない。

乙の(ロ)について。

昭和二十三年三月二十二日の村委員会の本件買収計画樹立の議決は決して取消されたものではなく単に事務上手続の進行が一時保留されただけにすぎない。そしてその後買収手続が適法に進行されたことはすでに述べたとおりである。之を要するに控訴人主張の如く二度買収計画が定められたものではない。

なおこの農地買収についてはその令書の交付に変るべき公告をも完了している。すなわち右買収令書の交付は一般の場合と同様地元農地委員会に嘱託して行つたのであるが偶々対価の支払状況の一齊調査の際他の多数の案件と共に本件も未だ対価が受領されておらず供託も未了なることが発見されたのでこれらの案件の整理のため昭和二十五年五月十五日県公報第六四四一号に一括して公告し形式上も買収処分の完了を明確にしたのである。それ故買収処分は未了であるとの控訴人の主張は理由がない。

第二の(二)について。

公告につき特に控訴人主張の如き議決を要するものでなく又買収計画の内容を表示するものなることを要しない。買収計画の公告は市町村事務所の掲示場に買収計画の定められたこと及び書類縦覧の日時場所を明にすれば足りるのである。

第二の(三)について。

自創法第八条所定の事由の生じたときは市町村農地委員会は都道府県農地委員会の承認を求むべきであつてその承認を求めるについて特に前者の議決を経ることを要するものでなく、前者を代表する会長において申請を行えば足りるのである。そして本件において村委員会の会長が県委員会に対し適法な承認申請をしていることは甲第二十六号証の六及び十六によつて明である。県委員会は右申請に基いて昭和二十二年三月二十八日及び昭和二十三年六月三十日の本会議において本件各買収計画の承認の議決をしているのであり承認書の原本を作成する事は法の要求するところではない。

県委員会に於て承認の議決があつたときは委員会を代表する会長は当然これを村委員会に通知すべきであり、もとより承認に関する書面の作成について県委員会の議決に基く旨を表示したり議決に関与した委員の署名捺印を要するものでない。

元来承認は対外的関係における独立の行政処分ではなく行政庁相互間の内部的行為にすぎない。従てその申請をした行政庁に到達しなければ効力を生じないというものではなく承認の議決自体によつてその効力を生ずるものである。本件において県委員会は右の如く承認の議決をしたのであるから承認の通知が各買収の時期よりも後に村委員会に到達したからといつて承認を無効とする理はない。

第二の(四)について。

承認はその議決があればその効力を生ずるものであることは右に述べたとおりであり三重県知事はその承認の議決に基いて本件各買収令書を発行したものであるから少しも瑕疵はない。

又買収の時期より前に買収令書が交付又は公告せられることは法の要求するところではない。けだし買収の時期は買収計画の中に示されており当然買収の時期に政府が買収物件の所有権を取得するに至るべきことが予定されているからである。又対価支払の方法については自創法第四十三条及び昭和二十二年大蔵農林省令第二号農地証券発行交付規程によつて農地証券を以てするととが許されており本件買収令書は之によつたものであるから買収計画と少しも齟齬するところがない。対価支払の時期及び場所については買収計画において之を定めていないのであり買収令書に之を定めたからといつてそれが違法となるものでない。

以上控訴人の主張の理由なきゆえんを述べたが飜つて抑々本件買収に関し控訴人主張の如き実体上及び手続上の瑕疵がたとい万一存在するとしてもそれは本件各買収を絶対無効ならしめる程度のものでは決してない。本件各買収に関する行為が取消しうるものとしては夙に出訴期間を経過しているから最早その効力を争いえない状態となつているのである。従て控訴人の本訴請求はその前提たる違法の事実につきなんら立証を俟つまでもなく主張自体からみて棄却を免れないものと信ずる。

又百歩を譲り本件各買収が無効ということになつても元小作者及び元請負耕作者たる被控訴人増森、同高柳及び同田増は原状に復するだけのことであるからそれぞれ権原に因る耕作権を保有することはまちがいない。従て本件土地を控訴人に明渡すべき義務はないのである。

第三について。

本件各買収の効力とは無関係に単に本件各売渡に関する行政処分の効力を争うことについては控訴人はなんらの法律上の利益がない。けだし本件各買収が適法有効であれば国はこれによつて原始的に本件各土地の所有権を取得し控訴人はその所有権を喪失するに至るのであり、売渡処分の効力が否定されたからといつて控訴人がその所有権を回復するわけではないからである。

以上によつて控訴人の本訴請求はすべて速に排斥せらるべきである。

<立証省略>

理由

本件第一、二、三号表農地が本件買収前控訴人所有に属するものであつたこと、村委員会は第一、二号表の農地については控訴人を以て不在地主と見做し自創法第三条第一号に準拠して昭和二十二年一月二十九日その買収計画を樹立し之に基いて政府は右各農地を買収したこと、第三号表農地については村委員会は之を以て仮装自作地と見做し同法第三条第五項第二号に準拠してその買収計画を樹立し之に基いて政府は右農地を買収したこと並に第一、二号表農地は被控訴人増森、同高柳に於て夙に契約に基いて小作しているものなることは当事者間に争がない。

第三号表農地については控訴人は昭和二十三年三月二十二日第一次買収計画、同年六月一日第二次買収計画が樹てられ前者によつて取消されたと主張するけれども後に説明するとおり右農地の買収計画は同年三月二十二日その樹立の議決がなされたものであり後者はその樹立に関するものでない。

そして第一、二号表農地の買収計画は昭和二十二年二月十三日公告がなされたことが成立に争のない甲第二十六号証の三によつて明であり、又第三号表農地の買収計画は昭和二十三年三月三十日公告がなされたことが成立に争のない同第二十六号証の十一によつて明である。

控訴人は右各農地の各買収計画及び之に続く各種の行政行為に実体上及び手続上いろいろの瑕疵があるからその各買収は絶対無効であると主張する、よつてその瑕疵の存否について逐次検討する。

第一の(一)について。

第一、二号表農地の買収計画が適法なりや否やはその買収計画樹立の議決(昭和二十二年一月二十九日)及びその公告(同年二月十三日)の時を標準として決すべきものであることはいうまでもない。しかして控訴人の住所の所在如何は本件買収処分の違法なりや否やを決する重要な事項である。

そこで当時控訴人の住所が控訴人主張の如く島ケ原村に在つたか将た又被控訴人主張の如く宇治市にあつたかが本件買収計画の効力に影響する問題となる。

よつて考へるに、成立に争のない甲第三号乃至第十一号証同第十三、十四号証同第十六号乃至第十八号証同第四十号乃至第四十六号証同第五十五号証同第五十八、五十九号証同第七十七号証真正に成立したと認むべき同第四十七号乃至第四十九号証同第六十八号証同第六十九号証の一、二同七十号証当審証人山本三代治の証言により成立を認めうる同第十五号証及び当審における証人森島与右衛門同田中一夫同山本三代治並に控訴本人中島顕誠の各訊問の結果を綜合すると、控訴人は島ケ原村の出身で東京に出て働いていたが昭和二十年東京において戦災に遇い同八月頃妻トミ、娘綾子(大正十二年二月一日生)息子哲(大正十五年三月三十一日生)を伴つて島ケ原村に帰郷した上同年十月頃から同村三四五五番山本三五郎方離れ屋を借受け、自己は常時同所に寝起はしていなかつたけれども妻と息子は常時同所に居住して控訴人所有にかかる第三号表農地外若干の農耕に従事していたこと、昭和二十一年十月一日及び翌二十二年九月十五日調製の島ケ原村における衆議院議員選挙人名簿に登載せられて選挙権を行使していたこと、同村において主食その他一般物資の配給をうけていたこと、肥料その他農耕用品の配給をうけていたこと、農産物の供出をしていたこと、同村農業団体に加入していたこと、住民税を納入していたことなどが認められる。

この事実からすると当時控訴人の住所は島ケ原村三四五五番山本三五郎方に在つたとみるのを妥当とするであろう。

しかし一面成立に争のない乙第一号証の一、二同第二号証同第六号証同第十号同第十一号証の一、二同第十二号乃至第十六号証当審における証人山本三代治、被控訴本人増森武雄同高柳兼雄の各訊問の結果に前記控訴本人中島顕誠の供述の一部を綜合すると、控訴人は右のとおり昭和二十年八月頃妻子を伴つて東京から帰村し、翌二十一年四月一日から京都府立桃山高等女学校に事務官として奉職したが右勤務先は島ケ原村から二時間余を要する遠距離に在つたため、勤先に近距離で、頗る便宜な位置に在る宇治市五ケ庄官有地所在の旧東京第二陸軍造兵廠宇治製造所官舎(敷地百坪余、建坪十八坪)をその頃近畿財務局から借受けて、恰も同年四月二十二日宇治市立宇治小学校に助教諭として奉職した娘綾子と共に同官舎に居住し、日曜、休日を利用して前記島ケ原村居住の妻の許へ帰つていたけれどもその他は専ら右官舎において過し前記学校へ勤務に出ていたこと、本件買収計画樹立の少し前たる昭和二十一年十二月十一日控訴人から島ケ原村居住の実弟被控訴人高柳に宛第二号表農地の返還を求めて差出した手紙(乙第一号証の一、二)において控訴人は恰も自己の住所が右官舎である如き表現をしていることが認められる。(なほ後日控訴人自ら作成した乙第十三号証同第十四号証の各調査表にも同様の表現をしている。)なお恐らく控訴人の右勤務による収入は控訴人一家が農耕により得るものよりも多額と推測せられる。

この事実に着眼すると当時控訴人の住所は宇治市五ケ庄官有地官舎にあつたと認めることも相当に根拠があるとせざるをえない。

ひるがえつて、控訴代理人は村委員会は控訴人の住所が島ケ原村山本三五郎方に在ることを知りながら故らに控訴人の住所は島ケ原村にないと見做して本件買収計画を定めたと主張するからこの点を明にしなければならない。ところがこのようなことを認めるに足る証拠は少しもなく却て前記甲第二十六号証の二乙第一号証の一、二被控訴本人高柳兼雄の供述によると村委員会は相当の調査をした後右のような根拠に基いて控訴人の住所は宇治市内に在ると信じて本件買収計画を定めたことが推知せられる。

さて叙上説示のように当時客観的には控訴人の住所は島ケ原村であるとしても同村と宇治市との何れをその住所と認むべきかの判定は必ずしも容易なわざではなく頗る困難なことがらであるとしなければならない。それ故村委員会が控訴人の住所を宇治市に在るとしたのは誤認ではあるけれども右のような事情にかんがみるとかかる誤謬をしたことは洵に無理からぬことであり已むを得なかつたものといわなければならない。

このような場合には村委員会が右誤認に基いて樹てた本件買収計画には控訴人の住所認定につき瑕疵があつて重要な法規違反であるが外観上この瑕疵は明確な瑕疵とはいいえないのであり、ひつきよう村委員会が控訴人の住所につき誤認をしてもその誤認があながち咎めらるべきでない顕著な事情があると認めらるる本件においてはその誤認に基く買収計画は当然無効となるべき行為ではなく単に取消訴訟の対象となるにすぎないものと解するを相当とする。

そして本件においては右買収計画に付いてはもとより、之に続く各処分の取消訴訟を提起するためには夙に出訴期間を経過していることが記録上明白であるから控訴人はもはや之を提起することを得ない状態にあるといわなければならない。

とすると本件買収は他に手続上の瑕疵なきかぎり結局有効と認めるの外はない。

従て控訴人の本主張は理由がない。

第一の(二)について。

第三号表農地の買収計画樹立の議決は昭和二十三年三月二十二日行われかつその公告は同月三十日なされたことは前に述べた。よつて右農地の買収計画が適法なりや否やは右の時を標準として決すべきであることは第一の(一)の場合と異らない。

ところで控訴人は右農地の買収計画を違法とする主たる理由として右農地につき控訴人と被控訴人田増間に同年二月十一日請負契約書と題する書面(甲第三十二号証)を作成した事実はあるがその趣旨は決して請負契約を締結したものではなく単に労務提供の契約を定めたものであるというのである。そして当審控訴本人中島顕誠は右主張に副う供述をしているけれどもそれは後記各証拠と対比してたやすく信用するわけにはいかないし甲第三十四、三十六、五十九号証によるも未だ以て控訴人の右主張を認めるに足らずその他之を認めるに足りる証拠はない。却て成立に争のない甲第二十六号証の十及び十四同第三十三号証同第五十六号証乙第五号証及び当審被控訴本人田増菊松の供述並に同供述により成立を認めうる乙第四号証に成立に争のない甲第三十二号証の記載内容を綜合すると昭和二十三年二月十一日控訴人と被控訴人田増間に右農地につき耕作の請負契約が成立したことが認められかつこの契約に基いて同被控訴人はその頃から右農地を耕起し堆肥施用をなして少なくとも同年度の夏作の始められる頃迄は現実に之をその耕作の業務の目的に供していたことが認められる。

とすれば本件買収計画樹立の議決及びその公告の当時においては右農地は自創法第三条第五項第二号にいわゆる仮装自作地に該当する農地であることが明白であるから本件買収計画には違法はないといわねばならない。控訴人主張の如くたとい右買収計画の後たる同年四月九日において右請負契約を解除したればとて本件買収計画の効力にはなんらの影響を及ぼすものでないことはいうまでもない。

なお控訴人は自創法第六条の四の規定による買収を違法と主張するが同条による買収は被控訴人の主張しないところであるのみならず右にみたとおり同法第三条第五項第二号による現時買収に違法なきかぎり控訴人のこの主張の当否を判断する必要はない。

よつて本件買収計画に実体上の瑕疵があつてそれを無効とし之を前提として各種の処分がすべて無効となるとの控訴人の主張は理由がない。

第二について。

成立に争のない甲第二十六号証の一乃至七及び九乃至十七、同第二十七号証の二、三及び六、七同第三十一号証の一、二同第五十七号証同第六十号証乙第七号証に当審被控訴本人増森同高柳同田増及び控訴本人中島顕誠(一部)の供述を綜合すれば本件各農地の買収に関し被控訴人主張のとおりの手続が履践されたことを認めうる。控訴人は右手続中における各個の行為について瑕疵があると主張するからその存否を逐次検討する。

第二の(一)のうち、甲の(5) について。

農地調整法第十五条の二十四には「委員は自己並に同居の親族及び其の配偶者に関する事件につき議事に参与することを得ず」と規定しているが被控訴人増森が第一号表農地の小作人であつたからといつてその買収計画樹立の議決に参与することは右規定に牴触するものでないと解するを相当とする。よつて控訴人の主張は採用しがたい。

第二の(一)のうち、乙の(ロ)について。

控訴人は第三号表農地買収計画に関する昭和二十三年三月二十二日の村委員会の議決は再審議の結果取消され改めて同年六月一日の議決によつて右農地の買収計画を定めたと主張する。

しかし村委員会は同年三月二十二日の議決を経て同月三十日本件農地につき買収計画を定めた旨を公告したこと之に対し控訴人から異議の申立があり同年四月二十六日同委員会は却下の決定をした。すると控訴人は之に対し更に同委員会に対し陳情をしたので同委員会は同年六月一日再審議に附したのであるが結局前記昭和二十三年三月二十二日定めた買収計画の正当性を確認して一時留保していた手続の進行を始めることとし念のため重ねて同年六月一日右買収計画を公告したことが前記第二冒頭記載の各証拠によつて明白である。

これを要するに、本件農地の買収計画は同年三月二十二日定められその公告は同月三十日適法になされた事実は不動であり右買収計画が後の議決によつて取消されたものではなく(もとより第二次の買収計画の樹立は存しない)同年六月一日の公告は無用のものに外ならないのであり、この公告あるがためすでに完結した右買収計画の効力に影響するものではない。と解するを相当とする。

従て同年三月二十二日の買収計画が後の議決によつて取消されたこと及び第二次の買収計画が樹てられたことを前提とする控訴人の主張は採用しがたい。

第二の(一)のその余の部分について。

控控訴人が買収計画書というのは自創法第六条第五項の第一号から第四号までの事項を記載した書類をさすものと解せられるところ第一、二号表農地について右の事項を記載した甲第二十六号証の一及び第三号表農地について同事項を記載した甲第二十六号証の九によると各その表紙に三重県阿山郡島ケ原農地買収計画、島ケ原村農地委員会と表示しありかつその名下に委員会の印が押捺しあることが認められそれにて充分でありそれ以上に控訴人主張のような事項を記載すべきことを要請した規定はないし又この書類は島ケ原村の事務所において公告の日から十日間縦覧に供すればいいのであつてその外に之を公告の日以前に委員会に備付すべきことを要請した規定はない。

よつて控訴人の主張は理由がない。

第二の(二)のうち、

(1)について。自創法第六条第五項によると市町村農地委員会は買収計画を定めたときは遅滞なくその買収計画を定めた旨を公告すれば足りるのであつて買収計画の内容をそのまま表示することは公告の要件でない。

(2)について。公告につき控訴人主張の如き議決を要するものでないことは自創法第六条第五項の規定自体から明白であり、その公告の方式については別段の規定はないから農地委員会長名義を以てするもさしつかえない。

(3)については之を認むべきなんらの証拠がない。

よつて第二の(二)の主張はすべて理由がない。

第二の(三)について。

市町村農地委員会が当該農地買収計画について自創法第八条によつて都道府県農地委員会の承認をうけるに当つて特に承認をうけるという議決を経ることを要するものではなくその承認申請は市町村農地委員会を代表する会長において之をすれば足りるのであり、本件において甲第二十六号証の六及び十六によると村の委員会長から本件各買収計画についての承認を申請していることが明であるから県の委員会が之に基いて昭和二十二年三月二十八日及び昭和二十三年六月三十日の会議に於て本件各買収計画の承認の議決(甲第二十七号証の二、及び六参照)をしたことは少しも違法でない。

元来この承認という行為の本質は外部に向けて表示せられるものでなく行政庁内部の意思表示という点にあつて知事が買収令書発行交付の前提要件としての承認があつたとするためには県の委員会の承認の議決が成立すれば足りると解すべきであり、その意思表示が必しも買収の時期よりも前に村委員会に到達していなければならないものではなく、又控訴人主張の如き形式を具えた承認書を作成した上之を県委員会に備付しておかなければならないものでもない。従て該承認の通知が買収の時期よりもおくれて村委員会に到達したからといつて少しも違法ではない。

よつて控訴人の主張は理由がない。

第二の(四)のうち、

(1)及び(2) について。知事が買収令書を発行交付する前提として県委員会の承認の議決さへあれば足りると解すべきことは前に説明した。

そもそも買収の時期は市町村農地委員会が買収計画を定めた場合市町村の事務所において縦覧に供すべき書類における必要的記載事項であり、買収手続の頭初から公表せられているのであり、知事のする買収令書の交付はその買収計画を実現するものに外ならない。従て被買収者は頭初から買収により当該買収物件の所有権を喪失すべき時期を知りうる筋合であるから令書の交付(之に代るべき公告)が買収の時期よりもおくれたからといつて買収を違法とすることは当らない。

本件において県委員会は第一、二号表農地につき昭和二十二年三月二十八日、第三号表農地につき昭和二十三年六月三十日承認の議決をしており、かつ右承認のあつた各買収計画により三重県知事は前者につき昭和二十二年三月三十日付で、後者につき昭和二十三年七月一日付で各買収令書を発行したことはすでにみたとおりである。そして前者の令書が昭和二十二年三月中控訴人に交付せられたことは控訴人の自認するところであり、後者の令書は次に説明するとおり昭和二十四年三月五日頃控訴人に適法に交付せられたものとみるべきであるからその間少しも瑕疵はない。

すなわち前記控訴本人中島顕誠の供述(一部)と成立に争のない甲第六十号証同第七十二号証によると右買収令書が右同日時頃前記の宇治市五ケ庄官有地所在の官舎に送達せられたところ控訴人と同所において同居していたその娘綾子(大正十二年二月一日生)は一旦之を受取りその内容を別に写し取つた上(それが甲第三十一号証の二である)控訴人は同所に居住せずと称して右令書を島ケ原農地委員会長宛に返送したことが認められる。

しかしながら前記乙第六号証同第十号証第十三号証によると右令書の送達当時には控訴人は島ケ原村から右官舎にその殆んどすべての家財道具を運び去つていること。島ケ原対における選挙人名簿からその登載を削除されていること。自ら住所が右官舎であることを公表していることが認められるから令書送達の当時は右官舎が控訴人の住所であつたことはまちがいない。

従て右令書が右官舎に宛てて送達されたのは当然であり同居せる娘綾子において之を受けとりその写まで作成した以上たとい同人が之を恣に返送したからといつてその時控訴人に交付されたものとみるに少しも妨げない。

なお仮りに当時に交付なかりしものとするも成立に争のない乙第七号証によればその交付に代るべき公告がなされていることが明であるから、全く交付がなかつたとはいえない。

よつて控訴人の主張は理由がない。

(3)について。対価支払の方法、時期、場所は買収令書の記載事項であるがこれらは買収計画を定めた時縦覧に供すべき書類(控訴人のいわゆる買収計画書)の記載事項ではないこと自創法第九条第二項と第六条第五項とを対照して自明のことがらである。それ故法定の記載事項の差異の限度において両者が合致しないのはむしろ当然のことである。

本件において、甲第二十六号証の九(買収計画書)と同第三十一号証の二(買収令書)によるとそれぞれ同法第六条第五項と第九条第二項の要件を充たした記載があり少しも違法ではない。

なお対価支払の方法については同法第四十三条及び昭和二十二年大蔵農林省令第二号農地証券発行交付規程によつて農地証券を以てその対価を交付することができる旨を定めているから右買収令書においても之に遵つているものである。

よつて控訴人の主張は理由がない。

以上みたところによつて明なとおり本件各農地の買収に関して手続上の瑕疵は少しもないのである。そうだとすれば各農地の買収はすべて無効でないものというべく、第一、二号表農地の所有権はその買収令書に買収の時期として記載された昭和二十二年三月三十一日、第三号表農地の所有権は同じく買収の時期として記載された昭和二十三年七月二日、それぞれ国に帰属したものと認めるの外ない。従て控訴人は右各同日右各農地に対する所有権を喪失したものといわなければならないのである。

とすれば被控訴人国に対して本件各農地の買収の無効と控訴人がその所有権を有することの確認を求める請求部分は失当として排斥すべきものであると共に被控訴人増森、同高柳、同田増に対し、その所有権の存在を前提とする請求部分も亦他の争点について判断を須つまでもなく失当として棄却すべきものである。

第三について。

以上みたとおり本件各農地の買収は無効でないからそれが無効であることを前提として延いてその売渡が無効となるという控訴人の主張は採るに足らない。

そして本件各農地の売渡に独自の手続上の瑕疵があつて無効であるという主張について考えるに控訴人は本件各買収によつてすでに右各農地の所有権を失つているのであるからその売渡に関する各行為の無効を主張するについてなんら法律上の利益がないと解するを相当とする。

されば被控訴人等に対しその売渡の無効確認を求める請求部分も失当として排斥を免れない。

よつて控訴人の本訴請求はすべて失当として棄却すべきものであり之と同旨である原判決は洵に相当であり本件控訴は理由がない。

よつて本件控訴を棄却すべく民事訴訟法第三百八十四条第九十五条第八十九条を適用し主文のとおり判決する。

(裁判長判事 中島奨 判事 白木伸 判事 県宏)

(物件目録は省略する。)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例